江戸時代、会津藩では、三年続いた天明の大飢餓を回復させるために、
家老田中玄宰が全国に先駆けて鯉の養殖を推奨し、養殖技術を確立させ、
その後米沢藩をはじめ信州などの海の魚の手の入りにくい全国の藩に広まっていきました。
鯉は山国会津において貴重な高タンパク源として、
魚料理の中でもっとも位の高い料理となったのです。
特に『鯉の甘煮』は、質素倹約を奨励徹底させていた会津藩の中で、
砂糖をたっぷり使った贅沢な『鯉の甘煮』は、特別な時の食べ物とされて、
まさに『殿様の御馳走』だったのです。
また鯉は、古来より薬用魚と呼ばれ、たくさんの薬効があるといわれています。
鯉の住む淡水にはミネラルが無いため、鯉自らが栄養を造らなけばなりません。
そのおかげで鯉の体全体には、多くの栄養素が蓄えられているのです。